孤高の凡人

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On the Road

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『いたいの』はどこへ飛んで行ったのか

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写真提供 https://www.facebook.com/takuya.tomiyoshi

 

 

幼き頃、転んで膝を強打して泣いていたら、「いたいのいたいのとんでいけっ!」とおかあさんが呪文を唱えてくれた。

直後、痛みがじわっと引いていき、涙が止まり、なんてことだ、これが魔法、これこそが母の魔法なのだ!と衝撃を受けた。
誰もがこの、おかあさんやおばあちゃんが唱える魔法を経験、体験したことがあると思う。
 
しかし、私には分からない事がひとつあった。
私の『いたいの』はどこに飛んで行ったのか。
飛んで行く姿は母と一緒に確認したのだが、その行き先、着地点は誰も見た事がないではあるまいか。
 
幼き頃を思い返してみたが、おそらく母の目線から推測するにその飛距離は約10キロ。
つまり、10キロ前後の場所に落下してずっとそこにある。
誰かがこの『いたいの』を踏むまでは。
 
なにこれ、怖い。
 
この仮説が正しければ、そこらじゅうに『いたいの』が落ちていることになる。カンボジアの対人地雷のように。
そしてそれは殺す事が目的ではなく、怪我をさせる事、つまり治療費を払わせる事が目的。これが明白で、『いたいのいたいのとんでいけ』の魔法は過去、政府によって世の母に伝えられ、口コミなどで拡散された事が容易に推測できる。
 
その発祥は遥か昔のようだ。
例えば『かまいたち』という都市伝説のようなものがある。
かまいたちは山を歩いていると、普通に歩いているだけなのに、ふくらはぎの辺りを突然スパッと鎌で斬りつけられたように切れて血が出る現象であるが、原因は未だに分かっていない。
 
しかし、この『いたいのいたいのとんでいけ』の魔法、私のこの仮説によって辻褄があう。
何か鋭利なもので、足を切ってしまった子供がいて、その母が魔法を唱えて『いたいの』を山へ飛ばした。
 
これを踏んだのである。
 
誠に恐ろしい魔法である。
古代兵器と言っても過言ではないだろう。
 
何もない場所で転んで怪我をする人がいたり、犬が歩いて棒に当たり、鼻を強打するのも全てこの『いたいの』が原因である。
 
そしておそらく、この『いたいの』は精神的にも影響している。
 
例えばデズニーランドなどの遊戯場で下半身を晒した卑猥な黄色い熊と遊ぶ為に列に並ぶ人々。
みんなが綺麗に整列しているにも関わらず、その列に割り込むような『いたい奴』がいる。
 
いるよねそういう人、むかつくよね、はちみつのたっぷり入った壺で、しばき倒したいよね。
 
でも、それはあかぬ。やめて差し上げろ。
 
彼ら彼女らは『いたいの』を踏んでしまった被害者なのだ。
憐れむべき人間なのだ。
 
私はね、こういった怪我をしたり、精神があかんくなった人間を救済したい。圧倒的な愛、これをもって、大丈夫、あなたは色々大丈夫なんだぜ、って抱きしめてあげたいのだ。女性メインで。
 
私は私自身が立てたこの仮説が恐ろしい。
しかしながら私がこれと戦わなくては一体誰がやるというのだ!その強い思いで何年か前から『いたいの』を探し、踏み続けてきた。
 
踏み続けたといっても、『いたいの』は目に見えないので、大体この辺に落ちてるんちゃうやろかって場所で、地団駄を踏んで暴れる。来る日も来る日もこれを繰り返した。
 
山で、谷で、川で、海で、街で、田舎で、道路で、駅で、駐車場で、高級紳士服売り場で、キャバレーで、ライブハウスで、武道館のステージで、この『いたいの』という地雷を処理し続けた。
 
そして8年が経った。
 
私は『いたい人』と呼ばれ始めた。
 
私は涙した。
よかった。今までの私の行動は決して無駄ではなかった。私は私の仮説が正しかったのだと、嬉しさに打ち震えた。
 
私が一人傷付くだけで、何百、何千、何万の人々が『いたいの』から救われたのである。
 
これからも私はこの『いたいの』という地雷を処理し続けようと思う。
 
そして、もし道を歩いていて、電柱の横とかで地団駄踏んで暴れている『いたい奴』がいたらそれはおそらく私なので、はちみつのたっぷり入った壺でしばいたりせずに、抱きしめて欲しい。
 
女性は特に。
 
ザッツオール、センキュー。

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