素人のバンドのダサいMCをなんとかしてあげたい
私は嗜む程度に音楽をやっている。
やっていると言ってもバンドを組んで、うぉおとロックンロールをやっているわけではなく、部屋の隅っこでひっそりとポロンポロンと弾いてみたり、山の方へ出掛けて、川に足を浸しながら、タラタラタラタラと弾いてみたりする程度で、一生懸命ライブ活動を行われているバンドマンや、ジャズマン、ブルースマン、アンパンマンからすれば、やっていると声高らかに言うこと自体がとても恥ずかしいので、今山の方へ来て、穴を掘って、そこに向かって、「やっているよ」と呟いている最中である。
やっているという事は、当然同じように音楽をやっている友達、知り合いがいくらかいるわけで。そういう人々のライブに行く事がある。
行くたびに思うのだが、演奏はとても素晴らしい。日々、喉から血を吹いたり、爪がベキベキに割れたり、練習の際の騒音により隣の家から呪いの言葉と共に烏骨鶏の卵を投げつけられたりと、そういった試練を乗り越えて、ステージに立っておられる。
その修練、鍛錬の賜物を拝見するために、貧困に苦しみ、粟や稗しか食べていない私はその高価な『チャージ代』をお支払いしてまで足を運んでいるのであるが、一つだけ言いたい事がある。
MC。
つまり冒頭の挨拶、曲間の喋り、これがくそおもんない人が多い。
せっかく、演奏が修練、鍛錬によって格好良いのに、いざお話を始めた瞬間、その一般人感、素人感が会場を包み、気温が2度下がり、白ける。あ、帰りたい。帰って牛乳をレンジでチンして、少しだけお砂糖を入れて飲みたい。と思ってしまう。
例えばこんな感じである。
あー、チェックチェック、今日は、きてくれてどうもありがとうございます。僕たち〇〇はミクシィのロックが好き!というコミニティーで知りあって意気投合して、バンドを組みました。ロックの神様が俺たちを引き合わせてくれたんやと思います。えーと、なんか喋れやギター。え?何?彼女と別れた?マジで?なんでここで言うたん!?あ、はいっ、ギターが振られてしまったらしいです。あ、とりあえず曲やります。それでは聴いて下さい、『endless summer again』
は?何言っちゃってんの。貴様らが知り合った経緯とかどうでもええわ。しかも間ぁもたなくなったからってギターに振るなよ。ギターも色んな意味で振られてんじゃねぇよ。はい、冷めた。帰る。帰って牛乳飲む。
ってなるので、演奏の技術はもちろん、MCに力を入れて欲しいと思うのです。
しょうがないから私が考えてあげるね。有能な私が総合的にプロデュースしてあげるから、聞いてね。
まず、MCに必要なのは付加価値、これである。
例えば、おじいちゃんが亡くなった。この曲は死んだおじいちゃんに向けて書いたものである。ずっとずっと祖父の死を受け入れる事が出来なくて、演奏する機会が無かった。でも今日は祖父の誕生日である、今日、ここでこの曲を演奏することで、祖父の死を受け入れられるかもしれない、だから聴いてほしい。と言う内容を喋る、するとオーディエンスは曲を聴く前からおじいちゃんが死んだ悲しい曲と思って泣く準備をするので、その曲が本来の5倍ぐらい良い曲に聞こえる。
アンダースタン?こういった付加価値を付けるテクニックを使って、観客を感動の渦に包みこんでいくのです。
じゃあ見本を見せるからね。見ててね。
ギターのハウリングの音を小音で鳴らす。
今日はみんなに、聞いてほしいことがあるんだ。俺はずっと、ずっとずっと、それを受け入れられなかったんだ。去年の年末におじいちゃんが死んだんだ。癌だったよ。俺は鍵っ子で、両親が共働きで帰りが遅かったから、ずっとおじいちゃんと一緒にいた。おじいちゃんが俺を育ててくれたと言っても過言じゃない。俺がこのバンドをやる為に、大学を辞めるって言った時も、おじいちゃんだけは背中を押してくれたんだ。おじいちゃんが死んで、ついこの間まで、俺はその死を受け入れられなかったけど、何もしれあげられなかった自分がほんっとに悔しくて悔しくて!
ベースが静かに鳴り出す。
だから曲を書いたんだ、この曲を天国にいるおじいちゃんに聴いてもらいたくって、書いたんだ!そして今日は偶然おじいちゃんの誕生日なんだ!独りよがりかもしれない!だれもこんな歌聴きたくないかもしれないっ!でも演らせてくださいっ!俺の独りよがりを聴いて下さいっ!
おじいちゃんっ!聴こえてますかっ!
今からみんなの前で歌いますっ!
ギターとベースが同時に止む。
それでは聴いてください。
『カピバラかわいい』